トップページ > 研究論文収録 > 心の健康と発達 心理相談の基本 心の健康と発達 心理相談の基本発表者 渡部 公容(会報 『連協』 掲載論文から抜粋) 第一講私たち人間は、人と人との関わりの中で生きています。そのスタートは、赤ちゃん時代のお母さんとの出会いにまでさかのぼることになるでしょう。 この人間社会に生まれた赤ちゃんは、まずお母さんと「心のきずな」を結び、それを中心にして次第に周囲の人たちへと活動の輪を広げ、様々な人との関わり・体験を通して、自分自身の「心」を発達させていくことになります。 子供の心が順調に発達していくためには、安定した母子関係が基盤となりますが、そこで重要なことは、「子供と共に遊ぶこと」であろうと思われます。 しかし、私たち大人は、子供の遊びというものについて、どれほどの理解を持っているのでしょうか? 大人から見ると、子供の遊び、ましてや乳幼児の遊びというものは、たわいもなく、くだらないものと映るかもしれません。しかし子供たちは、この遊びの中に自らの心を表現し、遊びと共に成長していくのです。つまり、子供の心の健康と発達にとって、この遊びは大変に重要な役割を果たしているのです。実際、子供の心理相談の現場では、この遊び(=遊戯療法)を通して、子供の心を知り(=診断)、子供の心を健康に(=治療)していくことになるのです。 母親が子供と遊ぶ姿は、大変ほほえましい光景です。ところが、相談室の扉をたたくお母さんたちの中には、「子供と、どう遊んでいいのか分からない」といった悩みを持っている人も多いのです。この場合には、お母さん自身もカウンセリングの必要性が生じてくることになります。つまり、子供の様々な問題解決には、お母さんとの関係が重要となってくるのです。 しかし、ここで気を付けなければならないことは、母親をまるで『犯人扱い』することです。経験の浅い相談員は、「子供に問題が生じるのは、親に問題があるからだ。親こそ諸悪の根元である」と短絡的に考えてしまいがちです。そんな考え方では、母親への叱言、批判、攻撃しか生まれてこないのです。なぜ母親がそうなったのか、どのような経過があって今その人があるのか、多面的に、そして慎重にその人を理解していこうとする姿勢がない限り、なんら問題解決へと進展していかないのです。このように人を理解する態度は、当然、子供に接する時にも大切となってきます。 多くの大人たちは、なんら専門的知識の裏付けもなく、自分自身の経験だけを頼りに、子供の遊びや、子供の心を見てしまう傾向があります。また、自分の価値観を子供に押し売りすることも多いのです。子供の心を「受容」していく態度もなく、子供の自発性(主体性)を無視したところには、心のつながりは生じてこないのです。 心理相談の現場では、こんな相談員では全く通用しません。いくら言葉だけはやさいくても、警察の取調室となんらかわりないことでは困ります。 子供の心や、親の気持ちを受け止めること(=受容)は、簡単なようで実はなかなか難しいことと思われます。 情熱だけでも、また知識だけでも人間理解はすすみません。両者を共に併せ持ってこそ、人への理解が一歩進むように思われます。 第二講私たちは日頃、どのようにして心の内を人々に伝えようとしているのでしょうか。時には言葉で、またある時は表情、身振り手振りも使っているかも知れません。 では、子供たちはどうでしょう。どのような手段、方法を使って私たち大人に心の内を伝えようとしているのでしょうか。 ● 心の注意信号 子供の心の中を知ることは、なかなか難しいことです。特にそれが、言語表現の未熟な年少児であったり、傷害を持つ子供の場合、また心の中に複雑な問題をかかえている子供の場合などでは“話をしてわかる”というものではありません。 しかし、心の状態というものは、子供たちの遊び(行動)をしっかりと観察することで、ずいぶんと理解できることも事実です。 ここで、大変わかりやすい例として、幼児期にしばしば問題にされる「指しゃぶり(爪かみ)」で考えてみましょう。 赤ちゃん時代の指しゃぶりについては、ほとんどの母親達はそれを問題にすることはありません。むしろ可愛らしい行動としてやさしく見守っているのです。しかし三歳を過ぎても一向におさまらず、それどころか以前にも増して、頻繁に見られ、ついには指にタコができてしまう場合も珍しくないのです。もうこうなると母親は心配でたまりません。麻から晩まで叱ってばかり、そしてついには指にバンドエイドを巻き付けたり、また体罰までも出てきます。しかし子供の指しゃぶりは止まるどころか、どんどんエスカレートしていくばかりです。 ここで気付かれるのは、母親の心配が「指しゃぶり」という目に見える行動ばかりに注がれてしまっており、もっとも重要な子供の心に向けられていないことです。 「指しゃぶり」というのは、心理学的には、心の不安、淋しさを表す行動と考えることが出来ますから、ここで大切なのは、まず子供の不安、淋しさを解消してあげることなのです。具体的には子供との遊びの時間を作り、受容的態度で子供の心をしっかりと受け止めることが最も重要なことであり、それができるならば、この症状は急速に消失していくはずなのです。 つまり子供は、指しゃぶりという形で自分の不安定な心の状態を周囲に知らせているのですから、その注意信号に気付いてあげることが大切です。しかし、それに気付かず「症状」だけを何とか消そうということでは、子供の心はますます不安定となり、心の安定剤としての指しゃぶりが強くなっていくわけです。 このように、子供と大人(親)の心がお互いにずれた方向に行ってしまうことはしばしば見られることなのです。たとえば、
などといったことがらは、多くの場合、甘え、わがまま、未熟さ、性格の問題、しつけの失敗などとして考えられることが多く、その根源にある子供の不安定な心にまで目を向けてもらえず、表面的な対症療法で終わってしまうことも少なくありません。 このように、症状が何を訴えているのかについて理解を深めていくことが、高年齢になるほど重要と思われます。 たとえば、不登校を起こす子供の中には、朝になると熱を出し、そのために学校を休むというケースがあります。この場合、発熱というのは「風邪気味なので熱があるのかもしれない」と、安易に身体の問題として考えることが普通には多いのですが、実はそうではなく「心の問題」から発熱を起こすということもあるのです。これらはいわゆる神経症的なケース、大人のノイローゼと同様な症状と考えられるのです。 私たちは、子供たちの日々の心の注意信号を見落とすことなく、豊かな感受性を持って、彼らと接することができればと思うのです。 第三講今回は、特に自閉症ということについて考えてみたいと思います。 この自閉症については、今から約五十年前に学会で奨励が報告されて以来、世界中で有名になり、日本でも約二十年ほど前は、まさに自閉症の全盛期といってよいほどマスコミにも取り上げられるようになりました。 実際、私自身かつて保健所での三歳児健診の心理相談を担当していた頃には、自閉的傾向を示す子供たちがかなり多かったように思います。 しかし、ここで一番問題なことは、自閉症について多くの誤解が生じていることなのです。特にその自閉という名称のイメージから、多くの人が、
などと思いこんでいるようですが、けっしてこのような子供たちの事を自閉症というのではありません。 では、自閉症というのは一体どういう子供たちなのでしょうか。 そもそも自閉症というのは一九四三年に、アメリカの精神科医のカナーという人が特異な行動を示す十一人の子供たちの症例を報告したことに始まりますが、ここではそれらを参考にしながら、自閉症の特徴を簡単に述べてみたいと思います。 自閉症の中核症状としてまず一番に特徴的なのが、 (1) 対人関係の障害 ということです。 つまり、対人関係においてまるで無関心のように感じられ、感情的交流も非常に乏しく、周囲から孤立し、自閉的な状態を示します。 これは、乳児期初期から母親と目を(目線)を合わせることがなく、話しかけても反応せず、成長しても状況に合った行動をとらず、母親でさえ心の通じなさを感じさせるのです。特に、人が呼んでもまるで聞こえていないかのように無反応であるため、ほとんどの母親が、耳が悪いのではないかと耳鼻科を受診するのですが、聴力には全く異常は見られないのです。 乳児期初期は、母親との情緒的接触が大切であることは当然ですが、いくら母親が関わりを持とうとしても、それを受け容れないのです。その様子は、「抱っこしようとしても、抱かれる姿勢を示さず、まるで丸太棒とか小麦粉の袋でも抱いているようだった」と、しばしば報告されることから、乳児期の母子関係の姿が見えると思います。 そして二番目として、 (2) 特有な言語症状 があげられます。 ほとんどの自閉症児に言語発達の遅れがみられます。なかには成長しても全く言語が出ない子もあります。また彼らの言語には奇妙な特徴がみられます。例えば、言葉はあってもすべてが独り言であって会話にならないとか、発音の抑揚やアクセントに異常があるとか、テレビのコマーシャルしかしゃべらないとか、人の言った言葉をそのまま繰り返す、いわゆるオウム返しのようなこともみられます。 これらは、単純な言葉の発達の遅い子供たちとは全く異なるものなのです。 このような対人関係の障害と特有な言語障害以外にも、「同一性保持の強い傾向」がみられます。これは、物事を常に一定に保ちたいという傾向ですが、例えばそれは、家具の配置が普段と違ったり、決まっている席や椅子に違う人が座っていたりすると、不機嫌になってパニックを起こすとか、ある一定の場所で必ず同じことをするといった形で表れます。 つまり彼らは、自分をとりまく環境の変化に対してきわめて敏感であることがわかります。 また、特定の事柄に対して異常に強い関心を示す場合があり、それは例えば、コマーシャル、会社の登録商標、漢字、カレンダー、時刻表、地図、回転する物など様々なものにまで及びます。彼らの中には、高い記憶能力、一部分とはいえ秀でた能力を示す子供たちもあり、周囲の人々を驚かすこともしばしばあるのです。 このような特徴を持つ自閉症の原因論については、まだよくわかっていないのが実状ですが、最近では何らかの脳障害説が有力となっています。ある時期に両親が原因ではないかと言われたこともありましたが、決してそんなことから自閉症になるわけではないのですから、私たちも誤解をしないようにしましょう。 第四講今回は、「プレイルーム」について考えます。 プレイルームという空間は、何よりも子供たちが自由に、そして安全に遊びを展開できるよう最大の配慮が払われていなければならないし、子供が馴染み易く、楽しい雰囲気の部屋であることが重要と思われます。 ● プレイルームと遊具 プレイルームでの遊びは、子供の自発的、主体的な行動、つまり自由意志を尊重することが基本となります。その意味では、プレイルームにあるどの遊具を選択し、またそれらをどのように取り扱うかについては、まったく子供に選択権、決定権があるわけです。 つまり、遊具というものは、けっして大人(セラピスト=治療者)が“与えるもの”ではなく、子供自らが“選び求めるもの”であるということができます。 また、子供がどの遊具を選択し、どのような遊びを展開するかについえ、しっかりと行動観察をすることによって、その子供の発達の様相、心のあり方などを理解していくことができるようになるわけです。いわば遊具は、診断のための“聴診器”の役割を果たすものであるともいえましょう。 いずれにしても、プレイルームにおける遊具は、単なる“おもちゃ”ではなく、相談を進めていくためにどうしてもなくてはならない重要なものなのです。 ● 遊具の特性 遊具は「素材遊具」と言われるものと「定型遊具」と言われるものに大別することができます。 素材遊具とは、水、砂などの自然遊具を含め、積木、粘土、折り紙、画用紙などのように、素材だけが与えられているもので、遊具それ自体の構成度は低いということになります。このような遊具は子供の創意と工夫によって自由な使い方が展開できるという特性を持っています。 そして定型遊具とは、自動車、ぬいぐるみ、人形、楽器、電話、ゲーム類、ままごと道具などのように、あらかじめ完成した遊具として作られており、その使い方はかなり限定されています。つまりこれらは、遊具としての構成度は高いということができます。 このように遊具には、それぞれの特性があるわけですから、プレイルームには、それらの特性をよく知った上で用意することが重要であると思われます。 つまり、子供の年令、発達段階、そして子供の行動特徴や相談の内容、プレイセラピィ(遊戯療法)の方向性など、あらゆる点から検討した上で、そのプレイルームに合った、その子供にふさわしい遊具を準備することは大変に大切なことといえましょう。 ● 遊具の種類 プレイルームで用意する遊具は、その相談室が対象とする子供の年齢層によって、かなり規定されることになります。 それは、比較的低年齢層である乳児期から幼児期の場合と、幼児期から小学校低学年ぐらいの場合と、小学校中学年から高学年ぐらいというように大きく区分することはできるかもしれません。しかし、それはあくまでも発達段階による区分であって、実際の子供の遊びに対応したものではありません。つまり年長児がもし乳児用の遊具を使ったとしても、また乳幼児が年長児用の道具を使っても、まったく差し支えないのです。その意味では、プレイルームにはある程度の幅を持った遊具類を用意しておきたいものです。 今日では、いわゆる電子機器(コンピューター)を用いた遊具をよく見かけるようになりました。その代表はゲーム機ですが、このゲーム機のようなものが、はたしてプレイルームに適切かどうかについてはいろいろな意見があるところです。 しかし、このゲーム機に準じた遊具は以前からありました。つまりトランプ、将棋、碁盤、野球盤、各種のゲームなどです。これらゲーム類の持つ短所としては、子供によっては独り遊びなってしまう点なのですが、従来からのゲーム類は、セラピストと共にゲーム(遊び)を行うという展開(=セラピストとの相互作用)がある程度できました。ところが今日のゲーム機では、そばにセラピストが居てもおかまいなく、まったく独り遊びになって、自分一人の世界でボタン操作のみを繰り返すということになるのです。これではプレイセラピィの本来の目的から少しずれてしまう心配もあります。もちろんこのような遊び方も一方的に否定されるものではありませんが、用意する遊具によって、遊びの展開は大きく変わることを知っておかねばならないと思います。 第五講プレイルームで子供たちは、さまざまな遊びを展開してくれることになります。そこでは、何の制約もなく、子供の自主性を尊重した遊びが保証されるのですから、これほど子供にとって楽しく、いきいきとできる場はありません。 こんな子供たちの遊びも年齢層に応じて、その質が異なっているのがわかりますが、特に低年齢のある時期には、はっきりとその質的変化を見ることができるのです。 1.遊びの発達 子供の遊びは、まず自分の体を中心として始まります。そして身近な人やまわりの事物や遊具との遊びへと発展していきます。 たしかに赤ちゃんの遊びを見ていると、自分の手を眺めたり、両手を絡み合わせたり、エプロンの図柄をみつめるなどの行動を繰り返して行っていることがよくわかります。そのうち近くにあるガラガラに手を伸ばしたり、おもちゃのヒモを引っ張ったりする遊びへと広がりを見せ、さらには、そのおもちゃであやしてくれる母親をはじめとした身近な人との遊びへと発展していくのがわかります。 こんなたわいもない赤ちゃんの遊びも、二歳頃には大きな変化を迎え、やがては成長とともにルールを伴った遊びへと発達していくことになりますが、このような遊びの発達過程は、心の発達を反映すると考えられています。 2.シンボルプレイ 一歳半から二歳頃になるとシンボルプレイ(象徴遊び)というものがよく見られるようになります。
この遊びは、子供の知能の順調な発達を示す重要なものですが、これは「ごっこ遊び」というものの中に見る事ができます。 たとえば、子供が講演の砂場で葉っぱの上に砂をのせてお母さんの所に運んできて、食べるふりをしていたとします。この時子供は、そこにない食べ物を引き出すために現実にそこにある砂を使います(=1.)。この時、砂は食べ物という新しいものとして取り扱われています(=2.)。そしてその砂で表現された食べ物が一体何であるのかは、その子供にしかわからない(=3.)ということなのです。 3.ままごとごっこ このように「食べたふりをする」とか「〜のつもりで」などの遊びができうようになったということは、心の状態や心の発達を示すものであり、そのことはまさに知能の順調な発達をも意味していると言えましょう。 このように「ままごとごっこ」で代表される「ごっこ遊び」は、幼児期からの最も重要な遊びなのです。 この遊びは、一歳半頃からしだいに頻繁に見られるようになりますので、子供の自発性を尊重しながら、タイミングよくごっこ遊びに応じていくことは子供の心の発達のために、きわめて大切なことと思われます。 第六講プレイルームでの子供たちの行動(遊び)はいくつかのパターンに分類することが出来ます。 ● プレイルームでの行動パターン 年少児の場合、プレイルームに入ってきた時、その子供の心の中は、「うわぁー、沢山おもちゃがあっておもしろそうな部屋だな。でも初めての所だし、一緒に遊んでくれる先生(セラピスト=治療者)も、どんな先生かよくわからないし…。でもママがそばにいてくれるから、まあ、大丈夫だけど…」 といった心境なのです。 こんな心の状態をしっかりと理解したうえで、子供の行動を見ていくことが重要なことなのです。 1.基本パターン 子供がどのようにして不安を鎮めていくのかが最大の問題ですが、子供たちは、まず身近な遊具を手に取ったり少し操作しながら徐々にプレイルームになじんでいくことになります。と同時に子供にとっての安全基地である母親に接近したり、目配せをすることによって不安を鎮めていく場合もあるのです。 多くの子供たちは、この両方をバランスよく使ってプレイルームに対する不安を解消しいくことになるのです。 このようなタイプでは、安定したアタッチメント(=母親との愛着関係)が形成されていると理解できるので、これを基本パターンとして考えることができます。 2.母子関係が形成されていないパターン このパターンは、不安な時でさえ母親に近寄ったり、しがみつくなどのアタッチメント行動を示さず遊びを展開したり、指しゃぶりや爪かみなどの常同行動を示すタイプでこのような場合には、良好なアタッチメントが形成されていないと理解することができます。 3.不安定な母子関係を示すパターン これは、不安を感じ母親への身体接触を強く求め、母親から離れることがないパターンで、なかには入室時から母親に顔を埋めたまま、一歩も動かない子供さえ珍しくありません。 これは、アタッチメントが不安定な形で形成されていると理解することができます。 4.障害の程度が心配されるパターン これは、さらに三つのタイプにわかれることができます。
これらはいずれも、さまざまな障害を持っていることを疑わせる子供たちであるといえます。 このようにプレイルームでの行動をアタッチメント理論から分類してみると、あらためて母子関係の順調な発達がいかに子供の不安を鎮めるために不可欠なものであるかがわかります。 子供の不安は、大人にはなかなか気付いてもらえないことも多いのです。 第七講今日、カウンセリングという言葉は、あらゆる方面で使われており、多くの人たちが知っています。ところが、あらためてカウンセリングとは何?と問われると、よくわからないという人も多く、また誤解をしている人もあるのではないかと思われるのです。 1.カウンセリングとは? カウンセリングについては、さまざまな理論、考え方がありますが、一般的には次のように言うことができるでしょう。 『カウンセリングとは、カウンセラー(相談員=相談を受ける人)とクライアント(来談者=相談に来た人)との一対一の会話を通じ、心理的接触をはかることによって、クライアントのかかえる悩み、問題が解決されるように援助する人間関係の過程である』 つまりカウンセリングとは、日常の生活の上で何らかの困難や不安を持ったり、危機に直面した人たちに対して、主に対話(言葉)を通して援助していくことであるといえましょう。ところが、私たちは特にカウンセリングという言葉を使わなくても、現実に問題をかかえた人たちの相談相手となって、その悩みが解決に向かうように話し合いをしています。その意味では、カウンセリングということと私たちが日常行っているお茶を飲みながら知人の話し相手になるということとは、大差のないことかもしれません。 しかし、ここでいうカウンセリングとは、単なる“茶飲み話”ではなく、臨床心理学的な背景を持ち、より専門的な訓練を受けた上で行うことができる“心理療法”の一つ、ということができるでしょう。 2.カウンセラーの資格 今日、カウンセラーと呼ばれる人は大変に多く、その職域も多方面に広がっているようです。なかには、ある商品を売り込むためのカウンセラーであったり、商品販売拡張、利潤追求を目的としたカウンセリングであったりすることもしばしばです。 カウンセリングというのは、相談、指導、助言などの意味を持っていますから、商業ベースに利用されてもやむを得ないことかもしれませんが、それにしてもあまりにも「自称○○カウンセラー」と呼ばれる人が多いのには驚きます。 このようなカウンセラーは論外ですが、現在のところ心理カウンセラー資格というのは国家資格ではなく、いずれも各団体での認定資格に過ぎません。そのため日本心理学会など多くの学会が中心となって一定の基準を作り、臨床心理士という資格を設け心理カウンセラーの質の向上を目指している現状です。この資格についても賛否両論がありますが、私たちはその資格があろうとなかろうと、目の前の悩みを抱えた来談者に対して、どのように対応し、援助していくことができるのかについて、実質的な勉強をしていかなければならないと思います。 第八講カウンセリングは、相談に訪れたクライアントの話に、まず耳を傾けるということから始まります。相談室の扉をたたく人たちの心は固く、その胸中は大変に複雑です。自分の気持ちを十分に言葉で伝えることができない人もあれば、初対面のカウンセラーに緊張したり、警戒してしまう人もあります。これは、相談室に親とともにやってくる子供においても同じことがいえるでしょう。いずれにせよ、その人(子供)の話にしっかりと耳を傾けること、すなわち「傾聴」ということがなによりも大切になっているのです。 1.「傾聴」ということ 最近では「傾聴ボランティア」という言葉が、よく聞かれるようになりました。それは主として、ガン患者や施設で暮らす高齢者の人たちの話をしっかりと聴いてあげようというボランティア活動です。私たちは特別な病気がなくても、心が病むことがありますが、ガンや難病、あるいは障害、高齢のために生じる苦しみを持つ人たちは、健常者以上に心の苦しみを感じていると思われます。孤独感に襲われたり、時には死の不安を身近に感じたり、結果として自暴自棄的な言動さえ示すことも多いのです。このような人たちの言葉に、まずしっかりと耳を傾けることはとても大切なことで、それは結果として癒しとなり、生きる意欲へと繋がっていくことになるのです。 2.「聴くこと」と「聞くこと」 ここで重要なことは、人の話を聞くという場合に、「聞く」ではなく「聴く」ということです。「聞く」も「聴く」も同じような意味で使われていますが、その字の意味には微妙な違いがあります。「聞く」というのは、聴覚的な刺激として知覚するもので、ただ物理的に聞いている、耳に入ってくるという意味が強いのですが、一方「聴く」というのは、相手を共感的に理解しよう、関わろうとする能動的な態度が強調されるのです。傾聴ボランティアにおいては、このように相手の心に耳を傾け、一生懸命に「聴くこと」がなによりも大切なことなのです。私たちも嫌なことがあったり、辛い体験があると誰かにその心の内を話したくなることがあります。特に友人などがその聴き役となることが多いのですが、その友人に対し心の中にあるものをすべてぶつけることができた時、しっかりと話を聴いてもらえた時、心が楽になれたという経験があるはずです。これはカタルシス効果と呼ばれ、心の浄化、発散という意味があります。最近しばしば、俗に「ガス抜き」という言葉が使われます。これはガスが一杯になってしまったら、最後には爆発してしまう危険があるので、ストレスとなるガスは適度に排出し、爆発を未然に防ごうとする私たちが持っている自然な心の働きと思われます。これもカタルシス効果です。また最近流行っているカラオケも、ストレスを吐き出すという意味ではガス抜きですから、これもカタルシスといえそうです。 いずれにしても、自分の話をぶつけることのできる人、しっかりと耳を傾けてくれる人がいなければ、心の浄化、発散はできません。この、しっかりと話を聴いてくれる人こそが、カウンセラーといえる人なのです。 第九講相手の話を聴くことがカウンセリングの第一歩です。この「聴く」という姿勢は、カウンセラーの基本的態度であり、もっとも大切にしなければならない心構えというものです。 1.積極的に待つ 相手の話を聴こうとする時、カウンセラー自身が多弁になってしまっては話を聴くことができません。カウンセラーは、どうすれば相手が自由に心の内を言葉にしてくれるかを考えねばなりません。そのためには、相手の話を「待つこと」が必要ですが、待つとはいっても、ただのんびりと受け身で待っていれば良いというのではありません。相手の言葉を「積極的に待つ」ことが重要なことなのです。 初心者に「カウンセリングは聴くことが大事」と話をすると、「聴けばいいのか。なんだ簡単なことではないか」という人がありますが、積極的に相手の話に耳を傾けるということは思っているほど簡単ではないのです。 カウンセラーは、相手の言葉だけを聴くのではないのです。その言葉の中にあるクライアント自身の体験、記憶、感情…といったものを含めて感じ取ろうと努力しなければならないのです。そのためには、どのような話でも漏らさず聴くという感度の良いアンテナをしっかりと張っていなければなりません。これには集中力が必要ですから、けっして楽なことではありません。 2.受容する 話を聴くとき、カウンセラーの姿勢の根本に、その人を「受容する」ということがなくてはなりません。 受容とは、文字通り「ありのままに受け容れること」ですが、別の言葉では「無条件の肯定的配慮」とか「無条件的積極的関心」ともいわれます。つまりカウンセラーはクライアントの話(経験、感情…)のすべてを無条件で受け容れることが重要なことなのです。そこでは、クライアントのある感情は受容するが、ある感情は否定するとか、またカウンセラーの善し悪しの基準でその話を判断する、といったことをしてはならないということなのです。無条件ということは、「もし…であるならば」という条件をつけないで相手の話や感情などを受け容れるということです。 話の中でクライアントから、悲しみ、喜び、怒り、敵意、失望、期待、願望といった様々な感情が表出されることになりますが、それらもクライアントの一部と考えて温かく受け容れ、共に分かち合おうという態度が大切になってきます。 3.聴くに堪えない話 しかしながら、クライアントの話は多種多様です。そこでは嫁の悪口、親への批判、また子供を否定するような話も出れば、自分の趣味の話を延々と話し続ける人もあります。そんな話を聴かされるカウンセラーは大変です。楽しい話であれば聴く側も一緒に楽しくその話に付き合うこともできるのですが、聴くに堪えない話も多いのです。いや、多くの場合がそのような話といっても過言ではないかもしれません。時にはカウンセラー自身が耐えられなくなり、話の最中にストップをかけたり、話題を変えようとしたり、注意をしたり、場合によってはその話を否定したり叱責したくなるものです。しかしカウンセラーは、このクライアントはこんな話を長々としなければならないほど、この人の心の中にはいろいろなことがあるのだろう、と受け容れていくことが大切なことなのです。 このようなカウンセラーの肯定的な配慮があってこそ、クライアントは心を開き、カウンセリングが深まっていくと考えられるのです。 |

